手軽でも重い一言 [ただの日常]
おお、こちらの記事は、なんと久しぶり。
少し新鮮です(笑)
実は最近、とある有名人が、とある有名グループの歌唱力を批判するつぶやきを
ツイッターで流し、それに対する賛否両論のリプがあるようで……。
にちゃんのトップニュースとかになるぐらいの勢いなので、
あえて、リプは送りませんでした。
荒れてるところに突っ込めば、自分も巻き添え食らう可能性ありますから(^^;;
危険はなるべく回避したいです、小心者なので。
それに、言いたいことは、ツイッターの制限文字数では語りきれません。
とりあえず、暑苦しい思いの丈が続きますので、ご了承ください。
私は、その方は大好きなのですが、その発言に対しては、敵でも味方でもありません。
その業界のことは知らないですから、きっと、私の知らない世界では、
素人には計り知れない色々な事があるんだと思います。
なので、知らない世界のことに対し、「批判」も「意見」も「賛同」もするつもりは、ありません。
しかし、どんな形にせよ、「物を作って人前に出す」という事は、私もしています。
彼らと違うのは、そこがプロか素人か、仕事か趣味か、の違い。
私は、どちらも後者です。
↓ どうか、それをご承知の上で、お読み下さい。
私が気になった発言は「出る人も創る人も本物がいないね。」というところ。
「本物」って、何を基準に本物なのか、と思う。
作って出されたものを受け取る人が、本物かどうかを決めるのではないでしょうか?
自分が「本物ではない」と思っていても、ファンの人は「本物」だと思っていれば、
それは本物なんじゃないでしょうか?
自分が本物だとは思わないのなら、見なければいい話です。
本物だと思っている人に対し、それは本物ではない、と説くのも必要ないと思います。
自分の好きな物を批判されて、カチンと来ない人は居ない。
けれど、そこを「へえ、そう」で受け流す事が、私流のスマートさだと思っています。
カチンと来たものを、カチンと返せば、またカチンとなって、の繰り返し。
それで、何か状況が変わるのかといえば、変わらないと思います。
自分も相手も、嫌な気分が続くだけ。
それじゃ、おもしろくないし、ストレスがたまる。
だから、そういう場合は「この人とは電波が合わない」で片付けます。
もちろん、自分の頭の中で思っているだけです、面と向かって言う必要がないので。
物を作る側の人は、受け取ってくれる人の反応が、すごく大切です。
そして、とても励みになります。
私は素人で趣味でやっているものですから、締め切りとかないですし、それで生活しているわけではない。
プロで仕事の人は、締め切り、リアクションの重大さ、視聴率、生活がかかっているわけです。
私も仕事については、会社から必要とされる資格は取ったり勉強したりします。
だから、仕事としてするならば、必要とされるスキルは身につけろ、というのを仰りたいのは、分かります。
それでも、本物か、そうでないかは、受け取る側の人によるもの。
だから、見たい番組だけ見ています。
私は最近、テレビはほとんど見ていませんので、そのグループの歌唱力がどんなだったか
聞くことは出来ませんでしたが、聞いて喜んでくれる人がいるわけで、
その喜んでくれる人々を大切にしてこそ、よい関係でいられるのではないでしょうか?
本物と思わないのなら見なければいい、というのは、素人考えなのかもしれません。
うまくまとまりませんが、「本物かどうかは、受け取る側の決めること」というのは、
プロも素人も、同じだと思うのですが、どうでしょうか。
ツイッターは手軽だけれど、その一言が重く、大きな波紋を広げてしまっていました。
有名人だから、仕方がありませんけれど……少し、怖い部分もあります。
自分も、「素人だから」「匿名だから」ではなく、発言に気をつけて
ツイッターを楽しみたいと思います。
とはいえ、ツイッターは、最近、本当に、そのおもしろさが分かってきました。
みんなの「今」を見て、自分を感じる、というか。
○○さんは、今仕事かぁ、だったり。
○○さんは、ビール飲んじゃったか、とか。
そういうささいな「今」を見るのが、とてもおもしろいです。
仕事用のアカウントは、色々制限があったり、フォロワーがファンであることで、
すごく束縛されてしまう部分はあると思いますが、
それはお仕事なので、割り切ってつぶやかなければなりませんね(^^;
私は、その人を応援していることに、変わりはありません。
かといって、その人が批判したグループを嫌いというわけでも、批判的になるわけでも、ありません。
私の中の基準は、私だけのものなのです。
みんなのものさしが一緒ではないということを、改めて思い知ったつぶやきでもありました。
投げかけた事が大きな波紋になってしまったけれど、
それは、色々な人が、考えるきっかけにもなったかもしれません。
私は、考えるきっかけになり、自分なりに、こうだと思ったことをブログにしたためました。
ご本人にリプで直接伝えることはしませんが(長いし暑苦しいから(笑))
みんなのものさしは一緒じゃない、本物かどうかは受け取る人が決めること。
私は、常にそう肝に銘じて、いきたいと思います。
少し新鮮です(笑)
実は最近、とある有名人が、とある有名グループの歌唱力を批判するつぶやきを
ツイッターで流し、それに対する賛否両論のリプがあるようで……。
にちゃんのトップニュースとかになるぐらいの勢いなので、
あえて、リプは送りませんでした。
荒れてるところに突っ込めば、自分も巻き添え食らう可能性ありますから(^^;;
危険はなるべく回避したいです、小心者なので。
それに、言いたいことは、ツイッターの制限文字数では語りきれません。
とりあえず、暑苦しい思いの丈が続きますので、ご了承ください。
私は、その方は大好きなのですが、その発言に対しては、敵でも味方でもありません。
その業界のことは知らないですから、きっと、私の知らない世界では、
素人には計り知れない色々な事があるんだと思います。
なので、知らない世界のことに対し、「批判」も「意見」も「賛同」もするつもりは、ありません。
しかし、どんな形にせよ、「物を作って人前に出す」という事は、私もしています。
彼らと違うのは、そこがプロか素人か、仕事か趣味か、の違い。
私は、どちらも後者です。
↓ どうか、それをご承知の上で、お読み下さい。
私が気になった発言は「出る人も創る人も本物がいないね。」というところ。
「本物」って、何を基準に本物なのか、と思う。
作って出されたものを受け取る人が、本物かどうかを決めるのではないでしょうか?
自分が「本物ではない」と思っていても、ファンの人は「本物」だと思っていれば、
それは本物なんじゃないでしょうか?
自分が本物だとは思わないのなら、見なければいい話です。
本物だと思っている人に対し、それは本物ではない、と説くのも必要ないと思います。
自分の好きな物を批判されて、カチンと来ない人は居ない。
けれど、そこを「へえ、そう」で受け流す事が、私流のスマートさだと思っています。
カチンと来たものを、カチンと返せば、またカチンとなって、の繰り返し。
それで、何か状況が変わるのかといえば、変わらないと思います。
自分も相手も、嫌な気分が続くだけ。
それじゃ、おもしろくないし、ストレスがたまる。
だから、そういう場合は「この人とは電波が合わない」で片付けます。
もちろん、自分の頭の中で思っているだけです、面と向かって言う必要がないので。
物を作る側の人は、受け取ってくれる人の反応が、すごく大切です。
そして、とても励みになります。
私は素人で趣味でやっているものですから、締め切りとかないですし、それで生活しているわけではない。
プロで仕事の人は、締め切り、リアクションの重大さ、視聴率、生活がかかっているわけです。
私も仕事については、会社から必要とされる資格は取ったり勉強したりします。
だから、仕事としてするならば、必要とされるスキルは身につけろ、というのを仰りたいのは、分かります。
それでも、本物か、そうでないかは、受け取る側の人によるもの。
だから、見たい番組だけ見ています。
私は最近、テレビはほとんど見ていませんので、そのグループの歌唱力がどんなだったか
聞くことは出来ませんでしたが、聞いて喜んでくれる人がいるわけで、
その喜んでくれる人々を大切にしてこそ、よい関係でいられるのではないでしょうか?
本物と思わないのなら見なければいい、というのは、素人考えなのかもしれません。
うまくまとまりませんが、「本物かどうかは、受け取る側の決めること」というのは、
プロも素人も、同じだと思うのですが、どうでしょうか。
ツイッターは手軽だけれど、その一言が重く、大きな波紋を広げてしまっていました。
有名人だから、仕方がありませんけれど……少し、怖い部分もあります。
自分も、「素人だから」「匿名だから」ではなく、発言に気をつけて
ツイッターを楽しみたいと思います。
とはいえ、ツイッターは、最近、本当に、そのおもしろさが分かってきました。
みんなの「今」を見て、自分を感じる、というか。
○○さんは、今仕事かぁ、だったり。
○○さんは、ビール飲んじゃったか、とか。
そういうささいな「今」を見るのが、とてもおもしろいです。
仕事用のアカウントは、色々制限があったり、フォロワーがファンであることで、
すごく束縛されてしまう部分はあると思いますが、
それはお仕事なので、割り切ってつぶやかなければなりませんね(^^;
私は、その人を応援していることに、変わりはありません。
かといって、その人が批判したグループを嫌いというわけでも、批判的になるわけでも、ありません。
私の中の基準は、私だけのものなのです。
みんなのものさしが一緒ではないということを、改めて思い知ったつぶやきでもありました。
投げかけた事が大きな波紋になってしまったけれど、
それは、色々な人が、考えるきっかけにもなったかもしれません。
私は、考えるきっかけになり、自分なりに、こうだと思ったことをブログにしたためました。
ご本人にリプで直接伝えることはしませんが(長いし暑苦しいから(笑))
みんなのものさしは一緒じゃない、本物かどうかは受け取る人が決めること。
私は、常にそう肝に銘じて、いきたいと思います。